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~ オリンピックと軽井沢 ~【軽井沢の歴史】

国内唯一の夏季・冬季オリンピック両方を迎えた街、軽井沢

冷涼な夏の気候が避暑地に最適な軽井沢。
一方で冬の寒さを活かした氷上競技が盛んでもあります。
その歴史は古く1907年、軽井沢駅近くにスケート場が新設され1916年には第一回軽井沢スケート大会が行われました。

時を経て戦後町内5カ所にスケートリンクを新設。
すると、スケート列車や専用バスが運行されるなど冬季観光の脚光を浴びました。
世界スピードスケート選手権大会をはじめ、全日本・冬季国体も開催。1963年には50万人ものスケーターや観光客が訪れ、大変賑わったのです。

他にも、アイスホッケーやフィギュアスケートの国体など多くの大会を迎えました。
そして1998年の長野冬季オリンピック。風越公園アリーナでカーリング競技が開催されました。
このオリンピックで初の公式種目となったカーリング競技。これをきっかけにクラブチームが結成されるなど大きなブームとなったのは記憶に新しいのではないでしょうか。

軽井沢で迎えるオリンピックはこれで2回目。1964年の東京オリンピックでは総合馬術競技が開催されました。
東京から近い利便性とコースに適した自然があること。そして皇室や政財界の要人を受け入れてきた多くの経験からスムーズに体制を整えることができたのです。
競技では12ヵ国から48名が参加し馬場馬術、野外騎乗、障害飛越が行われました。

こうして、軽井沢は夏冬両方のオリンピックを迎えた街となりました。
今でも風越公園には、1964年の東京オリンピック、そして1998年長野オリンピックそれぞれの聖火台が並んで設置されています。

左/1964年東京オリンピック聖火台、右/1998年長野オリンピック聖火台
風越公園内に、並んで設置されている聖火台