新幹線がまだなかった頃、国鉄信越本線の横川駅-軽井沢駅間に立ちはだかる碓氷峠を越えるために使用されていた橋梁の一つが、碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」です。
煉瓦造りの4連アーチが美しく、周りの緑と相まってとても趣があります。
下を流れる「碓氷川」の水音が、さらに壮麗な雰囲気を演出しています。
そんな景色の楽しめる碓氷峠の”難所”と称された歴史をちょっぴりご紹介します。
碓氷峠(うすいとうげ)
碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠で、標高は約960m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺であるため、峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れます。
江戸時代には中山道が五街道のひとつとして整備され、碓氷峠は、関東と信濃国や北陸とを結ぶ重要な場所と位置づけられ、峠の江戸側に関所(坂本関)が置かれて厳しい取締りが行われました。
峠の前後には坂本宿・軽井沢宿が置かれ、両宿場間の距離は2里26町(約10㎞余)でしたが、峠頂部の熊野神社の標高が1200m、坂本宿の京都口が標高460mであり、その標高差は740mもあったため通行者の大きな負担になっていたそうです。
特に刎石(はねいし)はつづら折れの急坂のうえ落石も多く、峠道最大の難所と言われておりました。
鉄道においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、上野駅~横川駅間が1885年に、さらに軽井沢駅~直江津駅間が1888年に開通すると当区間が輸送のボトルネックとなり、東京と新潟の間の鉄道を全線開通させることが強く望まれました。
当初の機関車の能力では通過困難な勾配があったため、2~3枚のラックレールを歯形をずらして設置することで急勾配を登ることができる「アプト式」という方式が採用されました。
廃線となった現在では、遊歩道「アプトの道」として整備されており、横川駅から熊ノ平駅まで片道約6㎞を歩いて往復できる観光地となっております。