ホーム > 軽井沢の歴史 > 【軽井沢の歴史】~軽井沢文学碑~第3回

【軽井沢の歴史】~軽井沢文学碑~第3回

雄大な自然に魅了され、多くの文学者に愛された軽井沢。
彼らの足跡やつながりを伝える、文学碑や記念碑が町内に点在しています。
街並みに溶け込み、静かに佇む碑を訪ねてみました。

 

 上皇陛下御製碑

追分宿駐車場

石尊山登山の心境を詠まれた

『長き年の 後(のち)に来たりし 山の上(へ)に はくさんふうろ 再び見たり』
2010年8月、秋篠宮皇嗣同妃両陛下、眞子内親王殿下、悠仁親王殿下とご一緒に約30年振りに石尊山へお登りになりました。その翌年にお詠みになった1首です。

 

 追分節発祥の地碑・芭蕉句碑

浅間神社

室町時代に建立された町内最古の木造建築である浅間神社。

危機が生い茂る境内に【追分節発祥の地碑】と【芭蕉句碑】があります。御影用水の涼やかなせせらぎとやさしく降り注ぐ木漏れ日に、心が洗われるようです。

追分節発祥の地碑と浅間神社

多くの文学者が訪れた追分宿
シャーロックホームズ像

 

 稲垣黄鶴句碑と筆塚

泉洞寺

堀辰雄が好んで散歩した

軽井沢出身の女流書道家、稲垣黄鶴。貞明皇太后献納の御下命を拝し、長く日本書道院副会長をつとめました。
『浅間嶺の 今日は晴れたり 蕎麦の花』この泉洞寺境内の裏手には、堀辰雄が愛した歯痛地蔵があります。

歯痛地蔵尊
泉洞寺門前

 

 森羅亭万象歌碑・子育て地蔵尊

分去れ

旅人の出会いと別れを偲ぶ

中山道と北国街道の分岐点である分去れ。地蔵尊の台石には『さらしなは右みよし野は左にて 月と花とを 追分の宿』と追分節が刻まれています。中山道屈指の常夜灯の手前には【森羅亭万象歌碑】。安永6年(1777年)に建立されました。