今や国際的なリゾート地として発展した軽井沢だが、その発展には一人の外国人宣教師が大きく貢献している。
江戸時代には中山道の一宿として栄えた軽井沢であるが、明治の時代になると街道を往来する旅人も年々少なくなり、更に明治17年碓氷新道(現在の国道旧18号線)の開通によって、宿場町としての歴史に終止符を打った。
衰退の一途を辿っていた軽井沢に英国聖公会宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが初めて訪れたのは1886年(明治19年)のことだった。
4月に新潟県における布教の帰途軽井沢に立ち寄ったショー氏は、冷涼な気候や澄み切った大気、緑豊かな森林など、自然に恵まれた軽井沢の地を「hospital without roof(屋根のない病院)」と賞讃。
同年8月、高林董平宅の離れを借りてひと夏を過ごし、明治21年には旧軽井沢の大塚山に簡素な別荘を建て、内外の知名人に軽井沢が保健と勉学の適地として紹介した。
そのためショー氏の友人たちである宣教師の別荘が年を追って建ち始めた。
同年12月、直江津線(信越本線)が軽井沢まで開通したことによって更にその発展の速度を早めていった。
明治28年、旧軽井沢の宿場町と二手橋を結ぶ旧中山道沿いに、ショー記念礼拝堂(日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂)が軽井沢最初の教会建造物として建立された。
増改築を繰り返し、1922年(大正11年)に現在の姿となり、現在は年間通じて開放され、訪れるもの誰もが礼拝できるようになっている。