今や避暑地軽井沢の一エリアとして中軽井沢の北側、浅間南麓が別荘地として開発されているが、古くは平安時代の文献「延喜式(法令集)」に長倉駅(うまや)・長倉の牧の名が見られ、中軽井沢一帯と言われている。
当時、国道級の東山道(奈良・京都と関東を結ぶ)が通っていたとされ、朝廷への献馬で国営の広大な牧場が営まれ、通路として重要視されていた。
また、長倉神社も「延喜式神名帳」に東山道神として記載のある、古社とされている。
江戸時代になると街道整備が進み、江戸と京都を結ぶ内陸経由の中山道が通っていた。
現在の中軽井沢は中山道六十九次の江戸から数えて十九番目の沓掛宿にあたり草津に向かう分岐路であった。
沓掛宿の語源は京からの旅人が難所である碓氷峠を無事に越えるためにわらじや馬の沓を神様に捧げて祈ったこととされている。
明治に入り、碓氷新道・鉄道の開通と徐々に近代化の波が押し寄せ、宿場としての沓掛宿は寂れていった。
沓掛宿の中央を通っていた中山道も時代とともに国道十八号線になり、明治四十三年に信越線沓掛駅が開業。
昭和三十一年に沓掛駅が中軽井沢駅に改称したのを機に地名も中軽井沢に改称された。
近代化はさらに進み、平成九年北陸新幹線の開通で中軽井沢駅は第三セクターのしなの鉄道に移管され、避暑客・観光客の利用が減少した。
しかし、平成二十四年に現在の中軽井沢新舎ができ、翌年に駅と接続した地域交流施設「くつかけテラス」が開館。
くつかけテラス内の軽井沢町立図書館は設備・所蔵ともに充実しており幅広い年齢層に利用されている。また中軽井沢は利便性もよく、近年定住者・移住者に人気のエリアとなっている。